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2021年1月31日(日)降誕節第6主日礼拝

聖書 ルカによる福音書10章1〜12節

交読詩編119編9〜16節

説教 収穫は多いが、働き手が少ない

讃美歌 讃美歌 120いざうたえ友よ,313この世のつとめ,500みたまなるきよき神


ルカによる福音書10書1-12節】「収穫は多いが、働き手が少ない

イエス様は「収穫は多いが、働き手が少ない」と言われました。もとのギリシア語は「確かに収穫は多い」、「しかし働き手たちが少ない」と2つの文です。つまり、イエス様ははっきりと「確かに収穫が多い」ことを宣言されました。誰もがとてもそんな風に思えないからこそ、今日もこのイエス様の福音が響いています。

 この世界は互いに思いやり、認め合い、支え合う。誰かと一緒に生きる平和と喜びに満ちている。人の悪と罪を越えて希望と愛の光が輝いている。小さく弱くされても、「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(Ⅰコリ12:9)との主イエスの励ましがある。耐えがたい貧しさと乏しさの中でも、惜しみなく与えることができる。このように「確かに収穫は多い」と、イエス様はこの世界を見ておられます。

 けれども「働き手が少ない」のです。悪い時代の中で、イエス様の言われた収穫を見いだす人は、狼の群れにいる子羊のように決して受け入れられません。周りには自らの爪や牙を頼みとする弱肉強食の社会に生きる狼しかいないのです。反対に、イエス・キリストを信じる働き手は、財布の中のお金も、生活道具の入っている袋も、予備の履物さえ持たず、ただ神さまに頼る以外ない子羊のようなものです。

 それでも、働き手に3つのことが求められています。うわべだけの挨拶をすることなく、たとえ自分の期待と違っても出されたものを食べ、また飲むことで、相手の立場を受け入れること。また、より良い待遇を求めて家から家へと渡り歩いてはならない。むしろ、より疎外され、遠ざけられているその町の病人を訪ねて手当し、孤独な人と共にいるようにと。

 何より働き手には「この家に平和があるように」とこの世界を祝福することが求められています。そして、祝福するからこそ目に見える具体的なしるしとしての報酬を受ける。収穫の主に遣わされた働き手であるからこそ、そこに平和という収穫を見出すのです。

 イエス様に任命された働き手は、自らの爪や牙を頼る狼ではなく、子羊のように神さまに頼って生きるからこそ、神さまの平和に満たされています。だから、どこに家にあっても「平和があるように」と、誰かを祝福することができます。何ができるわけでなく、何を持っているわけでもない。ただ神さまに頼るしかない私たちだからこそ、この祝福を祈る働き手となれるのです。この働き手に連なる者でありたいと切に願っています。(宮岡信行)


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