top of page

2021年1月10日(日)降誕節第3主日礼拝

聖書  フィリピの信徒への手紙3章12〜16節(新約p.365)

説教  「目標を目指して」

讃美歌 121番まぶねの中に、270番信仰こそ旅路を


【フィリピの信徒への手紙3章12〜16節】

「目標を目指して」

 パウロがフィリピの教会に宛てた手紙の3章12節以下は、勝利を目指して競技場を疾走するランナーの姿を描いています。ギリシャでは紀元前9世紀から古代オリンピックがありましたので、聖書の人々には、このような競技者のイメージが馴染み深いものでした。

 そこで、パウロは「後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、……目標を目指してひたすら走る」とあるように、まず短距離走のレースをイメージさせます。そして、全力疾走するランナーの姿を通して、キリストを信じることは目標に向かって全集中して生きていくようなものだと語ります。そもそも、パウロは非の打ちどころのない者と誇っていた以前の自分が、キリストに出会って正反対の思いになった回心の経験がありました。だから「わたしは既にそれを得たというわけではない」、「既に捕らえたとは思っていません」という思いを大切にしている。つまり、自分はまだ目標に到達していないからこそ、目標を目指して必死な思いで走っているのだと語っているのです。

 パウロの目標は「死者の中からの復活」でした。それは死の向こう側にある目標であり、生と死の次元を超えたところにあります。重要なのは、パウロが「一等賞」という言い方を避けて、これが一番になった一人だけに与えられる賞ではなく、忠実に走り抜いたすべての人に与えられる賞だと示していることです。

 私たちの人生は目標を目指している途上にあります。目標を目指しながらまだ達成していない状態、賞をもらう前の位置にいます。もし自分はすでに完成した者、もう目標に到達したと思っているなら、もはや懸命に走ることはできないでしょう。あるいは、賞を得られないとあきらめていても同じ状態になるでしょう。そして、そもそもの目標がなければ、私たちは誰しも歩みを止めてしまいます。目標を持たずして全力を出し切ることなどできないでしょう。キリストを信じる人生は、パウロのように目標を目指して歩むことなのです。(宮岡信行)

特集記事
最新記事
アーカイブ
タグから検索
まだタグはありません。
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page