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2020年12月13日(日)待降節第3主日 

聖書: ルカによる福音書1章26〜38節

説教:「少女よ君は呼びかけに応える、なぜ」

讃美歌:94番 久しく待ちにし、95番 わが心は


【説教 ルカによる福音書1章26−38節】

「少女よ君は呼びかけに応える、なぜ」


 私たちの人生は自分の計画に変更を迫られる出来事が起きます。天使ガブリエルがマリアに「おめでとう。恵まれた方」と告げる場面は突然の出来事でした。ダニエル書に登場する天使のお告げで、預言者のように自分が選ばれて驚いたことでしょう。

 しかし、その驚きは自分の妊娠という苦しみがありました。当時、婚約中の女性が妊娠すると、最悪の場合は石打ちの刑で殺されてしまいます。待ち望んだメシアの到来でも、これは10代の少女が引き受けるには残酷すぎる出来事でした。マリアは「どうして、そのようなことがありえましょうか」と悲鳴をあげ、「なぜ自分なのか、なぜ今なのか」と苦しみ叫びます。

 しかし、聖書は人生で最悪だと思わされる出来事中で「あなたは神から恵みをいただいた」と語ります。そしてマリアは「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と応えるのです。少女よ、君は呼びかけに応える、なぜ。

 マリアの「お言葉どおり」とは、彼女が繰り返し聞かされた旧約のみ言葉です。神さまの救いの約束が、自分のお腹にいる幼子によって成就した。つまり、彼女は聖書のみ言葉が自分の人生の中で実現する奇跡を目の当たりにしたのです。また「はしため」は奴隷、召使いの女性のことですが、当時の奴隷は仕事を辞める自由はないものの、家族のようにいつもいっしょに働く貴重な労働力でした。主人である神さまは、奴隷である自分に大事な役割を任せ、いつも共にいてくださる。そのように自分の人生が神さまといつも共にあることを信じたのです。だから、彼女は神さまの呼びかけに応えました。

 計画通りにならない現実にも、そこにみ言葉の実現を目の当たりにする恵みがあります。予定どおりにいかずに嘆いた先で、共にいてくださる神さまに出会うでしょう。マリアの歩いた道です。私たちもいっしょに、その信仰の跡に続いて歩いて行きましょう。     (宮岡 信行)

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