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2020年12月27日(日)降誕節第1主日

聖書: 詩編86編11〜13 節 (旧p.923)

説教:「一筋の心」

讃美歌:94番 久しく待ちにし、313番 この世のつとめ、494番 わが行くみち


説教【詩編86編11節】 「一筋の心」

 今年は、私たちが思ってもみない1年を過ごしたのではないでしょうか。何をどうして良いのか分からないまま、1年が過ぎたように感じます。しかし反面、何時もの事を何時もの様に出来ない、まるで強制終了とも言えざる得ない事に改めて考えさせられたのではないでしょうか。今日の詩編86編はダビデの詩であります。ある注解書にこの詩はダビデの後代に書かれたものであろうと言われています。詩の配列、作者の思いを見ると後代にあたると言うのです。そうであるならばダビデがイスラエルの王として国を治め、様々な体験をしてきた時代です。その彼が、尚、主に祈り求め膝をかがめているのです。ここから教えられるのは「主を求める姿」です。一つは、『主の道を求める姿』 主の道を求めるとは主の聖言に耳を傾け、祈りをもって近づく事。この事を通して主の道を知ることが出来るのです。私たちはどれだけの時間を費やして神を求めているでしょうか。二つ目は『主の真理のうちに歩む姿』主の道を示されたのならば、その道を実際に歩むことです。ヤコブの手紙1:22「…御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。」とあるように実際に歩むことが大切であることを教えられます。ある姉妹に今年の初め、大きな病が見つかりました。百万人に1人の確立で治療法もまだ見つかっていません。彼女は非常に苦しみました。とても真面目で毎週の礼拝もかかさず祈祷会、教会奉仕にも積極的に関わってこられた姉妹でした。その姉妹が難病という壁にぶつかった時、‘自分の弱さ,を教えられました。聖言も自分の頭を通り過ぎ、夜も熟睡できず、食欲もなくなっていきました。‛私の信仰はこんなものだったのか,と落ち込みましたが、ある日の昼、眠気を覚えた時に湖面を歩いておられるイエス様が「恐れるな」と声をかけてくださったように思えたそうです。マタイの福音書14章の箇所でした。その時、初めて自分が自分の病だけに目を向けて共に歩んでくださっているイエス様に心を向けていなかった事を示され今は聖言を握り、イエス様にゆだねて歩んでいると語ってくれました。三つ目は『一筋の信仰を持つ姿』 様々な訳に‛心を一つにして,‛二心ではない忠誠な心,とあります。ダビデはイスラエルの王となり権威も名誉も財も手中に収めました。だからこそ慢心せずこれら全ての物が神より勝らないようにと願ったのでしょう。「一筋の心をわたしに与え御名を畏れ敬うことが出来ますように」私は一国の王ではありませんが今までして来た事が当たり前のようなっていたことを教えられます。

 突然、集まる事さえ出来なくなっていることを思う時、様々なことに心惑わされず、一つ心、忠誠な心をもって一筋に神を求めいく事の大切さを教えられます。 (高橋容子)      

                      

                      

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